自分らしく生きていれば神様からのご褒美が貰える
先週ブログ仲間達と行った箱根旅行の一コマ。
「いろいろあるけど、生きているのも悪くない」と思える風景に出会いました。
目次
完璧な朝
朝、ゲストハウスのベランダで、椅子に座ってブログを書いていたn00(id:rhinocero) さんを見つけました。
つられてベランダに出たら暑くも寒くもない気候で、そよぐ風が気持ちよく洗濯物を揺らしていました。
通学途中の小学生の男子が
「あるこう、あるこう、わたしは元気~!!」
と生きるのが最高に楽しくて、今日が始まるのが嬉しいとばかりに大声で歌っている声が聴こえてきて。
その声を聴き笑い合った後、n00さんが「あれ!!」と目線の先には、近くの学校の屋上にある銅像の指先に大きな鳥がとまっているのが見えました。
体感、聞こえてくるもの、見えるもの、今思い返すと偶然の産物で起きた何もかもが完璧すぎて、あれは神様からのご褒美だったと思うのです。
リラックスしている瞬間に見せられる
ほんのたまに、自然の産物で神様がご褒美を見せてくれる時、それは最高にリラックスした状態の時。
例えば、遊んだ帰りに旦那が運転する横で見た恐ろしく綺麗な夕陽とか、人のほとんどいない公園で散りゆく桜の木の下で、楽しそうに遊ぶ親子とか。
観光地で、素敵な風景をみようと思って見に行くよりも、心に残るのは不意に見られるその風景だったりします。
それは、一生懸命生きているから見られるという訳でもなく、自分を大切にリラックスさせる事を常日頃から優先させていれば贈られるご褒美なのかもしれません。
自分らしく生きる事
一緒に旅をしたマリコさんが、帰ってから書いた記事が反響をよんでいました。
35歳の私が「結婚はどっちでもいいや」と思うようになった理由。 - ココロサードプレイス
マリコさんらしい、とっても素直な良い記事だなぁと思いました。
幸せの尺度を、結婚や出産などのビッグイベントだけに委ねるのはあまりにもキツくて。
例えそれが達成できたとしても、美しいものを美しいと感じる心を忘れてしまったら、見た目だけ綺麗に体裁を整えているだけの中身のない何かになってしまう。
そんな気がしています。
自分らしくって難しい言葉で、「自分らしさの澱の中でもがいているなら」とミスチルの桜井さんが言うようにがんじがらめの価値観になってしまう事もあります。
でも、私らしくというのは「ふとした風景を美しいと感じる心」で、これに気付かなくなった時は、無理をしているサインです。
地位や名誉も関係ない
自然が見せてくれる神様からのご褒美は、結婚しているしていないとか、お金持ち貧乏も年齢も関係なくて。
だから私はこの先何があっても、いつかは1人になっても、人生の所々で見られるご褒美の様な風景があれば楽しく生きていけると考えています。
箱根、仙石原のすすき